fc2ブログ

元外交官「マサオの海外体験記」

諸外国での体験から、風土、文化及び歴史にわたる興味ある事実を写真とともに掲載したい。写真は原則的にサムネイル・サイズでアップしているので、画像の面上でクリックすれば拡大されます。なお、許可なく画像の複製を禁じます。)

吾輩はポカラである(小説)

「吾輩はポカラである。」
――ネパールとパキスタンを舞台にした、ある外交官の仕事と生活--小説--

その1――ラサ・アプソ――
2016.7.30 記


吾輩は犬である。
ラサ・アプソという種類の小型犬である。
飼い主が近所の人や客にラサ・アプソを自慢していたから間違いない。

犬の原種でナンバーワンの一番犬がラサ・アプソであることは、飼い主が度々犬の図鑑を開いて見ていた。
人間は猿から進化したが、犬は狼から進化したことは犬でも知っている。

ラサ・アプソ(Lhasa・Apso)の先祖を辿ってみると、この進化の話が本当らしいことがわかる。
犬の図鑑によると、ラサはチベットの古都を意味する。アプソとはapro――髭の生えた――とrapso――ヤギの毛のような―とか、Absoseng kye――吠えるライオン――とかいう意味のチベット語に由来するといわれる。
ラサの地の僧院で言い継がれた話によると、中世の頃、チベット高原に住んでいた狼をラサの僧侶達が飼いならし、繁殖させて大事に育て上げたとのことである。
輪廻転生を信じるラマ僧たちは、犬に生まれ変わって王宮の守り神として仕える、聖なる犬としてラサ・アプソを宗教儀式にも参加させたらしい。
チベット系のラマ僧


ラサ・アプソは長い耳を持った狼に似て、非常に聴覚に優れ僧侶の家族と来客と盗人の足音を遠くから聞き分け、飼い主に知らせたそうである。
また、チベット高原の雪深きシーズンには雪崩が生ずる予兆をつかみ飼い主に知らせ、命の恩犬たる評価を高くしたそうである。
そのため僧院だけでなく、貴族階級においてもこの種類の犬を独占的に飼育し、数世紀にわたり門外不出の犬として特別扱いしてきた。

門外不出といえども、ラサ・アプソがチベットから外国の王宮に献上されたことがある。
それは清帝国の時代である。17世紀チベットで覇権を握った、ダライラマが清の皇帝に
ラサ・アプソの雄犬を献上したが、皇帝も気に入り、以後清朝最後の1908年までラサ・アプソが貢物として、献上される慣例が守られた。
また、中国古来の犬と交配させ、シーズーが生まれ、これが獅子犬として聖なる犬として珍重された。これも飼い主が広げている本に書いてあり、友人たちにも説明していた。
それ以降、チベット内外の地域の富裕層にもラサ・アプソが行き渡るようになってきたらしい。
部落の長老の話によると、19世紀英国のビクトリア王朝時代にはロンドンの美術品店内にラサ・アプソの姿が描かれている陶磁器が見られたそうであるが、具体的に資料が残っているのは、1922年にチベットを訪れた英国人が純粋なラサ・アプソを連れて帰国したということである。
それ以後ラサ・アプソの血統を引き継ぐ色々な小型犬が英国にも生まれたそうだ。

ところで、肝心の吾輩のことであるが、先祖はチベット人の飼い主に連れられて、チベット高原からヒマラヤ山脈を越えてネパールに移住してきたらしい。

吾輩は1992年1月中旬頃、アンナプルナの山麓のポカラという風光明媚な町で生まれた。
生まれた家は普通の民家で、納屋のようなところであった。2匹一緒に生まれた。
二匹とも雄でよくじゃれあっていたので寂しくはなかった。
(家の写真)
ポカラの「民家

別棟に倉庫があって大麦、小麦など穀類やピカピカに光る真鍮や銅製の容器が運び込まれたり、出されたりしていた。
飼い主が付き合っている人達が話している言葉の内容はよく分からなかったが、チベットとかムスタンとかシェルパ等といった単語は耳に入った。
飼い主の主人は荷物も載せられる自動車でよく出かけていたが、その細君は家にいることが多かった。

生後約一か月たったころ、縁のある外国風の帽子をかぶった若い上品な男がやってきて、家の近くで三脚を立て、もう一人のネパール帽をかぶった若者に指図して、長い棒を持たせて左右前後に動かせていた。
何をしているのかなと思っていたが、飼い主が「ダンネバード」と言っていたので、飼い主のために何かいいことをしてくれたのだと思った。

その青年は仕事が終わると日の丸のついた4輪駆動車で去っていった。
後で分かったことだが、その青年は測量士で技術指導に来ている日本の青年海外協力隊のメンバーであった。
飼い主はその青年に対し「森田さん」と呼んでいた。

その森田さんが1週間か10日ほど経ったある朝、やってきて吾輩に親しげに近寄り、何やら乾した鶏肉をくれた。吾輩がそれを食べている間に、飼い主と何やらひそひそと話していたが、森田さんはランドクルーザーから金属製の網の箱を取り出してきた。変だなと思っているうちに頭を撫でられて、いつの間にか抱きかかえられいた。一寸油断した隙にするりとその網箱に入れられてしまった。
びっくりしたが、飼い主が「ティクチャ」と言ってくれるので、少し抵抗したものの、大丈夫らしいのでどこかピクニックにでも連れいくのだろうと我慢することにした。
森田さんは優しそうな人なので心配することはなさそうだった。

山か森の方向へ行くのかと思ったが美しい湖の傍を通ってコンクリートで固めている大きな広場に出た。しかし、鳥よりも大型の翼つきの物体が空中に飛び上がったりしていた。
湖の写真
ポカラの湖

何故あのような大きな物体が浮き上がるのか不思議でじっと見とれていた。

森田さんが「フェリ ペトウラ」と言って、駅のような建物の中に消えた。
また戻るのかと思っていると、そこで働いてる制服姿の人がやってきて、網箱をスーツケースなどと一緒に巨大な鳥の如き物体の中に乗せられた。

しばらくして、車よりも大きなエンジンの音がしたかと思うとふわーと浮き上がりこれまた驚いた。不思議なことにランドクルーザーよりは揺れが少ない。
モーターが超スピードで回転しているらしく物凄い音がする。景色もなにも見えない。
人間にはヒマラヤ山脈が見える筈だが・・・。
(ヒマラヤの写真)
カトマンズ上空から見たヒマラヤ連峰

しかし、東の方向に進んでいることはテレパシーで分かる。ハトなど鳥類は犬よりも
方位感覚が優れているが、犬でも体内時計や磁場の変化など感知できることは常識である。
とはいってもどこに行くのやら正直のところ分からない。
30分ほどで飛行機が降下し始めドスンと揺れたかと思うとすぐ止まった。
無事だった。急に外に出されたので眩しく眼球が痛い。失明しそうだ。

もともとラサ・アプソは高原に住んでいたので、紫外線から目を守るためか額も目も隠されるように前髪が長いのだが、吾輩は生後40日ぐらいなのでそれほど伸びていないからクラクラとするほどだ。それに喉が非常に乾いている。。出発したポカラよりも涼しい。

でも先祖代々、高原向きの密度の高い毛でくるまっているお陰で問題ない。
温度は問題ないのだが、標高が高いのか耳も少しボーとする感じである。
何十名か人間たちも飛行体から降りてきて、森田さんがヤーヤーと現れたのでほっとした。彼は、手際よく水筒から茶碗のような容器に水を注いでくれた。この水のおいしかったことで疲れも多少取れた。

森田さんは「さ~行こう」と、網箱を手に取り出口に向かった。出てみると日の丸のついたジープの如き車から降りた、ネパール人が「ナマステ」と言って出迎えてくれた。
空港からは、西方向に向かって車は走った。
車は好きであるが凄いスピードで目が回る。

対向車と衝突するのではないかとひやひやして緊張の連続だ。運転手はするりとハンドルをさばいて衝突はせずに済んでいる。後で聞いたところによると自動車事故は自動車数の割合に比し極めて少ないそうだ。ネパール人は結構器用な人種かもしれない。
町中に入ると、道が曲がりくねって車のスピードも急に落ちてきた。

ヒマラヤの山脈は見えるけれどもなんだか、変な匂いがするなと鼻をひくひくさせていると大きな門構えの所に停まった。
門番が大きな扉を開くと緑の木も花壇もあり、テニスコートもある広い庭が視界に入ってきた。これは別世界だと思う間もなく一番奥の家の玄関に停まった。
(以上次号に続く)
関連記事
スポンサーサイト



  1. 2016/07/30(土) 18:49:14|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<吾輩はポカラである | ホーム | 英国のEU離脱ショック>>

コメント

大学院生

「我輩はポカラである」の小説は夏目漱石に
因んだものと推察していますが、
海外生活の珍しい、しかもリアルな話が出てくるものと期待しております。
  1. 2016/08/19(金) 19:01:44 |
  2. URL |
  3. 坂元 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://masblog007.blog.fc2.com/tb.php/93-f1fa82ce
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)